木村定三コレクションから
熊谷守一
《猫》1965年
木村定三氏は25歳のときに画家・熊谷守一(1880-1977)の作品に出会い、以後生涯を通じて作品を収集しただけでなく、展覧会をプロデュースしたり、画集を刊行したりして、その魅力の普及に努めました。木村定三コレクションの熊谷作品は、200点を超えています。なかでもよく知られた《猫》は、時折家にやってくる野良猫が縁側で寝ている様子を、大胆に要素を省略しながらも巧みに伝える一枚です。この油彩の元になったスケッチから、床板も2枚だけが抜き出されていることがわかります。
小川芋銭
《若葉に蒸さるる木精》1921年
樹上でくつろぐ河童を中心に、渦巻く蒸気の中で烏天狗や姑獲鳥、一つ目などの妖怪たちが思い思いに動いています。東京で洋画を学んだ小川芋銭(1868-1938)は、26歳で茨城県牛久村(現・牛久市)の実家に戻りました。農業を営みながら挿絵や風刺漫画、俳画を描き、50歳頃から日本画を主とします。沼に河童伝説のある牛久の自然は、恵みや穏やかさだけでなく、ときに洪水や疫病などの災厄ももたらします。そうした暮らしの中でいつしか心のうちに棲みついたさまざまな水魅山妖の姿を、芋銭はユーモアを交えて生き生きと描き出しています。
《不動明王立像》平安時代後期(12世紀)
右手に剣、左手に羂索(縄)を持つ不動明王は、教化し難い者をも救うために忿怒の表情をしています。元来怪異な姿ですが、この像には11世紀の仏師定朝が確立した穏やかな和様が見られる一方、量感も湛えており、12世紀前半の作と推定されます。表面の截金や彩色も精巧で、木村定三コレクションの仏像のなかでも白眉と言えます。また、当館収蔵後に本作の解体修理を行った際に、胎内から鎌倉-南北朝時代(14世紀前半)の仏画の断片が発見されました。当初の絵絹と絵具および裏打ちがそのまま残っており、当時の表装が知られる類例のない貴重なものです。
与謝蕪村
《富嶽列松図》江戸時代中期(18世紀後半)
重要文化財
生き生きと動くような松林の向こうに、白い富士が濃い空を背景にくっきりと浮かび、雄大な存在感を示しています。大阪に生まれた蕪村(1716-1783)は江戸に出て俳諧を学んだ後、36歳頃から京都で本格的な絵画制作に取り組みました。中国明・清時代の絵画に学んだ蕪村は、池大雅と並ぶ日本文人画の大成者と称されるとともに、俳画の大成者でもあります。蕪村晩年の本作は、同時期の《夜色楼台図》(国宝)、《峨眉露頂図》(重文)と合わせて「三横物」と呼ばれる優品で、富士と松という簡潔なモチーフに様々な対比が織り込まれ、蕪村の俳諧的表現がよく現れています。
浦上玉堂
《山紅於染図》江戸時代後期(19世紀初期)
重要文化財
水辺に臨む山々の紅葉が「紅で染めるよりも紅い」様を描いています。玉堂(1745-1820)は岡山の武士でしたが、琴を好み、文雅の道に生きるために50歳で脱藩し、会津から長崎まで遊歴しました。自らの楽しみのために制作していたとされる絵画作品には、落款に「玉堂酔作」と記された本作のように、酒を飲みながら描いたものが多くあります。横長の画面に、乾いた筆で表されたなだらかな山々が連なり、その山中や手前の水際の木々に赤や黄で葉や点苔を描きこんだ本作は、水墨を主とする玉堂作品の中で鮮やかな色彩が美しい異色の名品です。
《高麗鉄地金銀象嵌鏡架 》高麗時代(11世紀)
鏡架とは、化粧をする際に鏡を掛けるための道具です。大小二つの支脚をX字状に交差させる高麗時代の鏡架は韓国にも数例しか現存せず、本作は、文様表現などから現存するなかで最も古い時期のものと考えられます。仏教的な要素が色濃い本作の文様は、鉄の棒に線や面で文様を彫り込んで金銀をはめこむ技法が用いられており、高度な技術で数多くの工芸品を生み出した高麗王朝文化の特徴をよく伝えています。
《黒織部輪繋文茶碗銘五月雨》と
熊谷守一《雨滴》
黒織部輪繋文茶碗銘五月雨:桃山時代(17世紀初期)
雨滴:1961年
木村定三コレクションの陶磁器のなかでも、茶碗はとくに大きな割合を占めており、木村氏が自ら茶会を開催することを意識して収集していたことがうかがえます。このうち、17世紀初頭の数十年間に集中的に生産された黒織部茶碗は6点を数え、いずれも似た作りをしています。本作は、箱書きによれば、画家・熊谷守一が五つ繋ぎの丸文を水たまりに落ちた雨の波紋と見立てて「五月雨」と名付けたものです。のちに熊谷は本作を参考にして《雨滴》を描きました。
《十牛図霰釜》室町時代(15-16世紀)
木村定三コレクションの茶の湯釜は、室町時代のシンプルなものから、桃山時代にもてはやされた新しい姿形のもの、あるいは江戸時代の多様な釜に至るまで、幅広い地域と時代をほぼ網羅するように収集されています。本作の胴に設けられた団扇形の窓には、前後で図柄の異なる十牛図(禅の悟りへと至る十の段階を牧人と牛との関係に喩えたもの)を表しています。南北朝から室町時代にかけて茶湯釜の産地として名声を博した福岡県遠賀川河口の湊町・芦屋の作とみられます。
近現代美術のコレクションから